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​これまでの私たち…

与論島で農業を営んでおり、小さいころから農業を手伝って育って来ました。

しかし、小さな手で農薬を素手でつかみ撒き続けるダメージは、病気となって現れました。

その後進学の為東京に移り住みましたが、症状は改善されず、長い月日を苦しみ続けました。

そんなある日、化学肥料や農薬に頼らない畑でのお手伝いをすることとなり、

久しぶりの農作業に、心なしか懐かしさを感じでいました。

午前中の農作業を終えると、昼食に出てきたのはカレーでした。

具材はもちろん、この畑で採れた野菜が入ったカレーです。

その中に入っていた具材の一つ、小指ほどの大きしかない小さな人参に衝撃を受けました。

これまでに食べたことの無い、濃厚で甘い人参だったのです。

 

こんな小さな人参から伝わる生命力に、心打たれました。

そして、この小さな人参が私の人生を大きく変える事となりました。

「完全無農薬・無化学肥料・無除草剤で農作物を作る。」

そう心に決め、それまで勤めていた会社を退職。家族で与論に引き上げる決心をしたのです。

1993年のことでした。

しかしながら、始めた当初から失敗の連続で、苦悩の日々が続きました。

農作物を作る為の肥料がなく、作物が育ちません。

水も無ければ井戸もない。

農業の基盤が全く整って無かったのです。

生産技術もすべてが手さぐりでした。

さらに、農薬を使えば簡単に対処できることも、

無農薬という挑戦は、解決策一つ見つけ出すのに膨大な時間と実験を要したのです。

生きていくための資金もままならず、決して簡単な事ではありませんでした。

しかし、どうしても諦める事が出来なかったのです。

一つ一つの失敗から学び、挑戦し続けることで、

必要な肥料、水をかけるタイミング、台風による被害を最小限に回避する対策

病気にならないための方法、高栄養価を考えた土づくりなど、

少しづつ見えてくるものがありました。

そして、生産技術を向上させることことが、出来るようになってきました。

気付けば挑戦した年から​、実に20年と言う年月が流れていました。

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これからの私たち…

「完全無農薬・無化学肥料・無除草剤」という環境の畑は、

たくさんの小さな生き物たちが助け合い、より良い土へと育んでくれました。

​土壌が改善されたことにより、生態系を守る事にも繋がりました。

より良い生態系の環境を作る為、畑の周りに木を植えました。

木を植えることで、赤土が海へ流出されることを防ぐことも分かりました。

人の健康を維持することに繋がればと思ってやってきたこの農法は、

地球の環境も守る事が分かりました。

私たちは地球が育む自然無しには生きていけません。

地球に寄り添う暮らしこそが、人の暮らしと言えるのです。

次世代に豊かな自然を継いでいくためにも、私たちは作り続けます。

安心安全で、栄養価の高い野菜を、一人でも多くの食卓へお届けするために。

野菜バスケット
手をつないで
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